先日、大阪弁護士会交通事故委員会と大阪地裁交通専門部(15民事部)裁判官との協議会がありました。
 これは、毎年、開かれているものであり、一年に一回、弁護士と交通部の裁判官とが個々の事件と関わりない世界で直接議論できる貴重な機会です。
 裁判所からは、一年の受任事件数とか、和解率とか一通りの状況が示されます。ここ数年一年の新受任件数は、1600件程で推移しているようです。
 裁判官は10人程ですが判事補(一人では裁判できない)もいますので、裁判官一人頭180件近い裁判を新たに担当していることになります。交通部の裁判官は、欠席裁判とかはないし、一つ一つの裁判が時間かかるので、裁判官、常時200件の裁判を抱えていることになるでしょう。
 弁護士側から、テーマに沿って、裁判官に質問がなされます。保険会社側の弁護士も参加しています。「通院慰謝料」のテーマのとき、保険会社側さんの弁護士さんからは、ネットの影響で、軽微というより微小事件で通院回数を重ねるケースが多いことのアピールがなされたりします。通院回数に騙されるな!ということを裁判官にアピールしているのですね。裁判官からは、玉虫色の回答がなされることがほとんどです。
 そんな質疑応答の中で「葬儀費用」が議論になりました。大阪では、葬儀費用は、定額150万円で、その証明のため、領収書とかも不要という運用がなされてきました。ただ、近時、家族葬等比較的安価な葬儀で済ますケースが多く、その場合に150万円という定額で処理するのはおかしい、領収書等立証がなされるべきだという主張が保険会社側からなされたりすることが増えました。この点は、裁判官も悩んでいるテーマということで、ある裁判官は、実際にかなり少ない葬儀費用のケースも多いこと考えられるから、立証責任の原則からすれば被害者側で領収書等で立証されるべきではないか…みないな歯切れが悪いですが、保険会社に同調した発言がなされました。150万円の定額制は問題あるとの雰囲気が漂います。
 これに対しては、私は納得行かず発言しました。
「皆さん、葬儀費用の損害賠償というのは、治療費のようなものではないのです。人間誰もが死ぬのです。事故がなければ治療費要らなかったという類とは性質的に違うのです。理論的には、早く亡くなって余分にかかったコストだけという事になりそうな話なんです。でも、人が亡くなって、葬儀費用が損害ではないというのは、如何にも一般人の感覚に反します。やはり、損害額に含めるべきだという観念からのもので、一種のフィクションなのです。そして、葬儀費用は、家族状況、宗派によって異なり、また、お寺の費用、香典の有無、多種多様で、かつ、領収書を取ることが難しい費用が多い。遺族の葬儀に駆けつける交通費はどうなるのか?法事の費用は?葬儀で休んだ休業損害は?等、結構言い出せば論点は切りがないのです。あくまで損害論のフィクションなのですから、社会的相当額でいいわけです。社会相当性のある通常損害は、150万円であり、それについて、特に立証を要しない。礼儀的、例えば、身元不明で役所の方で荼毘に付されれた後、相続人が発見され、損害賠償がなされたなど、明らかに、葬儀費用が含めるのは妥当ではないと考えられる場合にのみ、150万円の枠組みを崩すべきである。家族葬をしたからと言って、納骨や法事の問題も残ります。いちいち細かな立証の問題を突きつけることは、遺族に更なる心理的ダメージを与えるものである。立証無用の150万円運用を堅持すべきでしょう。」
 その後、裁判官との懇親会のとき、ある裁判官から「先程のお話、全くそのとおりだと思います。交通事故の損害は、フィクションだらけ。葬儀費用の論点に混迷すれば、他の過失割合とか逸失利益といった重要な論点の議論がおろそかになってしまいます。」というご意見をいただきました。裁判官独立の原則がありますので、裁判官意見が違ってもいいことになります。しかし、是非とも葬儀費用については、しっかりその意味を考えていただき、無用の議論が無いよう裁判官共通の認識としていただきたいと思います。