弁護士黒田の「タイガース小ネタ」「ぼやき漫談」、お陰様でご好評を頂いております。
 今回は新たに法律事務所に相応しい新コーナーを作り、司法試験やその他司法に関する時事トピックについて発信していきます。

 第一回は、この暑さで思い出された司法試験の経験。

灼熱地獄

記録的大雨の後、連日猛暑が続きます。
京都は、連日、38度台。
京都は、祇園祭真っ最中。この灼熱地獄の中、山鉾巡行ご苦労様です。

実は、私は、祇園祭が苦手です。それは、受験時代の苦行を思い出すからです。
この祇園祭の期間は、大抵、旧司法試験 一番の山場である論文試験の期間(3日間)と重なりました。

私の時代は、6科目各2時間合計12時間試験で、5月の母の日にあるマークシートの択一試験をクリアした者(5人に1人)が、この論文試験で、9人に1人位にふるい落とされれます。
落ちると翌年再び母の日は、3時間半の択一問題に悪戦苦闘することになります。
この論文試験が人生分け目の天王山です。
この時期、梅雨明けしている事が多く、京都は猛暑です。なのに、当時は、試験会場にクーラーはありませんでした。択一試験を大阪会場(関大)と京都会場(京大)で受けたものは、論文試験は、京都大学で受ける事になっていました。そして、大阪組の多くは、京大のシンボル時計台下のすり鉢講堂が試験会場となります。
このすり鉢講堂は、地獄でした。窓は、殆ど開かず、隣の生協からのエアコンの熱気が籠もっています。サウナ風呂の様に汗が溢れ出してきます。したたり落ちる汗で答案用紙がビショビショになっていきます。当時は、右から書き進む縦書きですので、書き進むと手の汗で文字がどんどんにじんでしまって、文字がグチャグチャになってきます。
ですから、私は、先ず、受験票(ハガキ大)をペンを持つ手に汗で貼り付け、受験票を滑らせて答案用紙右から左に書き進めていました。試験会場は、サウナ風呂の様相でしたので、受験生の服装も超軽装です。女性などタンクトップの方も多く、肩をあらわにしています。ある時は、ふと前を見ると、前の席の人が、試験の途中でズボンを脱いで、水着?下着?姿で答案に格闘しています。この様な暑さ、どう考えても、大阪組不利です。
大阪組でも受験番号が遅い人は、すり鉢講堂ではなくて、校舎の一般教室が試験会場となります。こちらは、すり鉢地獄より遥かにましです。ですから、大阪会場で受ける人は、申込み期限ギリギリに出して、遅い受験番号を得るなどの工夫をしたり、択一試験自体、京都を選んだりしたりして、灼熱地獄のすり鉢講堂を避ける努力をしていました。
でも、京都自体が盆地で気温が高いですので、汗だくというのは変わりません。お金があるリッチな人は、択一会場を仙台とか、札幌にしていました。実は、私も、択一試験会場を名古屋に移したことがあります。論文試験会場は、役所の合同庁舎の一室。何階だったか忘れましたが、上の方の階でしたので、暑いことは暑いのですが、窓から風が入り、京都すり鉢灼熱地獄に比べれば天国だと思った記憶があります。

ま、ただ、この年も、敢え無く敗退しましたので、環境だけのせいにはできません。言い訳としては、宿泊した安宿の壁が薄く、隣のカップルの夜な夜な激しい活動のおかげで超寝不足状態に陥っていたことは間違いありません。

私は、何度も京都で受験しました。何回受けたかは、またの機会にお話したいと思いますが、択一試験を乗り越えた実力者の9人に1人の試験ですので、1問の失敗が命取りです。試験終わったときには、ある程度、自分がどの出来だったかわかります。四条大橋に浴衣姿の女性が楽しそうにしているのを横目に背中を丸めて、大阪に戻ります。今でこそ青春の思い出ですが、先が見えず、とても辛かった。

平成6年は、今年の様に猛暑でした。受験生の何人か試験中に熱中症で倒れるということが発生したらしく、翌年の平成7年からは、試験会場にクーラーが入ることになり、試験会場が京都大学から同志社大学に変更となり、やっと大阪組灼熱地獄から開放されました。しかし、今度は、同志社大学、クーラー効きすぎです。例年の如く薄着でいた初日は、寒くて、体がガタガタ震えました。灼熱地獄から極寒地獄です。翌日から長袖シャツを用意しました。その年、やっとのことで、論文試験パスする事ができました。